アウグスティヌス(Augustinus):自由意志論

アウグスティヌスは、『告白』において、自分自身が若いころに情欲に負けたり盗みをしたりしたことを包み隠さず“告白”している。
つまり、アウグスティヌスにとって、悪や罪は、過去の自分が犯したこともある切実な問題であった。
そのため、アウグスティヌスは、この問題を『自由意志論』において、“なぜ人間は悪をなす=罪を犯すのか?”という問いとして取り上げている。

この問いに対し、アウグスティヌスは、まず、“悪をこうむる”=“罰を受ける”場合の悪は神が原因だが、“悪を行なう”場合の悪は神が原因だとは考えられず、それは人間の自由意志が原因だと考えた。
つまり、人間は本来、精神の内にある理性によって欲情を支配しなければいけないが、自由意志は精神を欲情の支配下に置いてしまい、そのために悪を行なうというのだ。

それでは、なぜ神はそのような自由意志を人間に与えたのか?
アウグスティヌスによれば、実は自由意志は、悪の原因である一方で、正しい行ないをするためにも必要な「中間善」であり、そのどちらのために自由意志を用いるかは人間自身にあるのだという。

しかし、そうは言っても、人間は原罪を負っているがために、正しい行ないをするために自由意志を用いることが自分だけの力ではどうしてもできない。
こうした状況を回復し、自由意志が正しい行ないをすることを可能にするのが、神の愛=「恩寵」(おんちょう)である。
つまり、人間は神の恩寵があってはじめて正しい行ない=善ができるようになる。
そして、信仰によってもたらされる恩寵があってこそ、人間は原罪を着せられる前のアダムと同じ状態に還(かえ)ることができるとアウグスティヌスは考えたのである。

※関連ページ:「【徳倫理学】アウグスティヌス

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