ヒューム(Hume):同一性の否定

ヒュームが提示した哲学史上まれに見る革新的・破壊的なもう1つの学説が、同一性の否定である。
ヒュームは、因果があるように思えるのは人間の主観的な「心の決定」によるのであって、決して自然に備わった性質ではないとしたが、物体や事物、さらには自我の同一性すらも人間の想像の産物だと唱えた。

たとえば、リビングルームにあるイスは、前の日も今日も明日も、変わらず定位置にあり続けているように見える。
しかし、住人がリビングルームにいなかったり、外出していたりするあいだ、彼はそのイスを決して見てはいない。
ひょっとしたら、目を離している隙に、誰かがイスをこっそり取り替えているかもしれない。
それなのに住人は、そのイスがずっと同一のイスであると思っている。

あるいは、ここに1艘(そう)の船があるとする。
その船は、帆(ほ)を張る柱や甲板、縄梯子(なわばしご)といったさまざまな部品からでき上がっている。
しかし、それらの部品は、古くなったり傷んだりすれば、他の部品に交換される。
そのため、5年前の船と現在の船、10年後の船は、同一の船ではないはずである。
しかし、他の部品に交換されても、船全体の構造は変わらないため、同じ1艘の船だと認識される。

このように、イスや船の知覚に断絶があるにもかかわらず、それらに同一性を認めるものは、ヒュームによれば、人間の想像力である。

同じことは、自我についても言える。
自我=私は、日々、さまざまなことを見たり、聞いたり、感じたりしており、こうしたことを生まれてから死ぬまで繰り返している。
つまり、私という存在は、現れては消える知覚や感情にしかすぎないのである。
それなのに自我が存在すると思うのは、ひとえに想像力のためである。
そのため、自我とは本来、たんに「知覚の束」にしかすぎないのである。
ここからヒュームは、「われわれが人間の心に帰する同一性は、虚構によるものにすぎない」と結論づけたのであった。

こうしてヒュームは、経験論の立場を極限まで押し進め、これまで自明の真理だと思われていた因果や同一性といった観念を否定した。
こうしたヒュームの考え方に大きな衝撃を受けたカントは「独断のまどろみから醒(さ)まされた」と述べ、自身の哲学のモチベーションとしているが、ヒュームの懐疑論は、のちに見るカントの理性批判の形成に大きな影響を与えたのであった。

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