カント(Kant):格率と実践的法則

カントは『純粋理性批判』において、“われわれは何を知ることができるか?”について問い(認識原理の批判)、理性(理論理性)の限界を明らかにした。
これに続く『実践理性批判』においては、“われわれは何をなすことができるか?”と問い(道徳原理の批判)、道徳の基礎を規定しようとした。
つまり、カントは、理論理性が現象界の法則を把握する役割を担うのに対して、実践理性は英知界の法則を捉える役割を担うと考えたのであり、理論理性の力が及ばない英知界との関わりを、実践理性を通じて求めたのである。

カントによれば、人間は「感性的存在者」であると同時に「理性的存在者」でもあるという。
「感性的存在者」とは、人間は食欲や性欲、その他さまざまな生理的欲求を持つ存在だという意味である。
一方、「理性的存在者」とは、人間は感性的な欲求にのみ従う存在ではなく、自己を律する理性にも従う存在だという意味である。
こうした二面性を備えた人間がさまざまなことを意志し、行為するとき、2つの原則が働くのだという。

1つは、「格率」(マクシーメ)である。
この「格率」は、まったく主観的な行為の原則なので、人に会ったときは挨拶する、高齢者には席を譲るといった善い原則から、金儲けのためには手段を選ばない、1人でも多くの女性と肉体関係を持つといった邪(よこしま)な原則まで含まれる。

もう1つは、「実践的法則」である。
この「実践的法則」は、格率とは異なり客観的な原則で、あらゆる物体に働く落体の法則のように、自分にだけ通用するのではなく、すべての理性的存在者に通用する原則=「道徳法則」である。

もしも人間が理性的存在者であるだけなら、何の障害もなく実践的法則に従うことができる。
しかし、人間は、理性的存在者であると同時に感性的存在者でもある。
そのため、カントによれば、人間は、みずからの“自由な意志”によって努力しなければ実践的法則に従うことができないのである。

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