フィロン(Philon)

ヘレニズム前期の哲学において、ストア派、エピクロス派、懐疑派はともに、社会から自分を隔(へだ)てて心の安らぎを獲得し、それによって幸福になる倫理を模索した。
しかし、実際には、みずからが考えたようにはうまくいかず、彼らは逆に自分自身の無力さを痛感することとなった。
自己の内部に確固としたよりどころが見出せないとき、人は次に自己の外部によりどころを見出そうとする。
そのため、ヘレニズム後期の哲学においては、それまでの哲学を受け継ぎつつも、絶対的で完全なる存在を自己の外部に見出し、その存在と1つになろうとする傾向が強まっていった。
こうした哲学的な傾向の最初に位置づけられるのが、フィロンである。

フィロン(B.C.25〜A.D.40頃)は、アレクサンドリア(現エジプト)に住んでいたユダヤ人で、主にピタゴラス学派、プラトン、ストア派のそれぞれの哲学をユダヤ教に取り入れ、統合しようとした。

フィロンの哲学の出発点は、「」である。

フィロンは、「神」は万物を超越しており、ただ“存在する”としか言えず、その本質を捉えることができないとした。
だから「神」は、固有名詞を与えることができない「ヤハウェ」なのだ。
しかし、「神」は、万物を超越しながらも万物の創造者であり、さまざまなイデアの統一体である「ロゴス」(理性)を媒介として世界と関わると考えた。
このロゴスは「第二の神」であり、世界の不完全さと悪の原因である物質=「第二の原理」と対立している。

一方、人間は、ピタゴラス学派の「ソーマ・セーマ」の考え方に沿って、霊魂が肉体のなかに宿った存在であり、悪の原因である肉体とともに悪のなかに囚(とら)われているとされた。
そのため、人間は、自己に打ち克つ心を持って肉体を脱し、清浄な魂の生活を送ることを目指さなければならない。
しかし、そうした生活を克己心(こっきしん)だけで実現することは無理なので、神の力を借りる必要がある。
そうすれば、神と1つになる「エクスタシス」が実現する。
つまり、「エクスタシス」は、人間に対する神からの働きかけであり、恵みなのだ——

およそフィロンは、以上のように考えたのであった。

このような考え方にもとづき、フィロンは『創世記』を解釈しているが、この仕事は、のちのキリスト教哲学者たちに大きな影響を与えることとなった。

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