ポスト構造主義(Post-Structuralism):フーコー、ドゥルーズ、デリダ

前のページで紹介した「構造主義」は、個人の思考や行為を規定する社会の構造を体系的に明らかにした。
その後、1960年代になると、同じフランスで、「構造主義」を批判的に引き継ぐ新たな思想の潮流が現れた。
この思想潮流は、〝「構造主義」のあと(ポスト)〟という意味で「ポスト構造主義」(Post-Structuralism)と呼ばれる。
代表的な人物として、ミシェル・フーコー(Michel Foucault、1926~1984)、ジル・ドゥルーズ(Gilles Deleuze、1925~1995)、ジャック・デリダ(Jacques Derrida、1930~2004)が挙げられる。

フーコー

自身を「歴史家」と呼んだフーコーは、〝真理などなく、あるのはいくつもの解釈だけで、それらがどのように形成されてきたかを調べれば、その虚構性を明らかにすることができる〟というニーチェの言葉に大きな影響を受け、数多くの史料を厳密に読み込む作業を通して、人間が時代や社会特有の枠組みに規定されていることを明らかにした。
たとえば、『言葉と物』という著作においてフーコーは、真理の探究が歴史を通じて連綿と続いてきたと思われているが、実はそうではなく、そうした見方は、その時代特有の問題意識や概念などの〝知の枠組み〟=「エピステーメー」に規定されていることを明らかにした。
また、近代の理性は社会から逸脱したものを「狂気」として封じ込めてきたが、それは、国民に対して、学校や工場、軍隊などを通して規律を内面化させ、規格化し、制御しようとする「生の権力」の都合によるものだと暴き出した。
同じことは、近代になって現れた性に関する規制についても言えるという。
性の歴史』という著作においてフーコーは、「性の歴史は、セックスに関する規範形成の歴史であり、監視と処罰による身体管理の歴史だった」と述べた。
そして、成人男女同士以外の性欲を「変態」と呼んだり、婚期を逃した女性を「ヒステリー」になると決めつけたり、性行為や出産の指導書を作成したりすること=「性言説」によって国民を管理しようとした近代における欲望の規格化を批判した。

ドゥルーズ

西洋哲学は、ものごとを、ある1つの視点から言葉によって言い当てようとしてきた。
その発想は、ものごとは変化しないという〝同一性〟の概念を前提にしている。
パリ第8大学の哲学教授を務めたドゥルーズによれば、こうした西洋哲学の考え方は、「ツリー」型モデルに基づいているという。
たとえば、デカルトは、『哲学原理』という著作のなかで、形而上学を中心=〝幹〟にして、そこから数多くの学問が〝枝葉〟のように分かれていく学問の「ツリー」型モデルを提唱している。
これに対してドゥルーズは、新しい思考モデルとして、1つの中心を持たず、地中を自在に伸び広がり、さまざまな場所に生成の拠点を形成する根茎=「リゾーム」のような思考モデルを提唱した。
つまり、ものごとをある1つの視点のみからではなく、複数の異なる視点から捉え、考えていく必要性を訴えたのである。
このように、〝同一性〟という概念を捨て去り、視点を自由に動かすあり方を、ドゥルーズは「逃走」と呼んだ。
また、ラカン派の精神分析家ピエール=フェリックス・ガタリ(Pierre-Felix Guattari、1930~1992)とともに著した『アンチ・オイディプス』や『千のプラトー』では、「欲望する機械」「器官なき身体」「スキゾ(分裂)分析」などの概念を提起しながら、資本主義の隠された姿を明らかにし、精神分析学の「エディプス・コンプレックス」に対する批判を土台にして、新しい実践を促そうとした。

デリダ

フランスやアメリカの大学で哲学教授として教鞭をとったデリダは、西洋哲学が、2つの項目を対立させる「二項対立」を軸として成り立ってきたことを見出した。
プラトンの「イデア/個物」をはじめ、「精神/物質」「自己/他者」「男/女」などが、その例だ。
こうした「二項対立」においては、〝イデア>個物〟〝精神>物質〟という不等式で表現できるような、後ろの項目よりも前の項目のほうが〝優れている〟という前提がある。
たとえば「イデア/個物」では、「イデア」は真の存在で、「個物」は「イデア」の模倣であるとプラトンは言っている。
しかし、実際に五感で存在を確かめることができたり、経験できたりするのは現実の「個物」のほうである。
一方の「イデア」は、その内容を規定することができない。
つまり、実は、前の項目のほうこそが後ろの項目から派生したもので、後ろの項目こそ前の項目が成立するための条件だと考えることができるのである。
それなのに、こうした「二項対立」が自然に受容されてきたのは、なぜか?
それは、西洋哲学が根拠なき独断をしてきたからだとデリダは言う。
その例は、論理や意味を何よりも優先する「ロゴス中心主義」、文字よりも音声を優先する「音声中心主義」、ヨーロッパこそが他の地域よりも優れているとみなす「ヨーロッパ中心主義」など、数多い。
このように、デリダは、西洋哲学の軸となる考え方であった「二項対立」が実は成立不可能であることを明らかにし、西洋哲学を無力化=「脱構築」しようとしたのである。

ブックガイド

フーコー』(貫茂人 著)
▼フーコーの入門書は何冊かあるが、本書は、その思想の核心がシンプルかつコンパクトに示されているという点で秀逸である。まさに、フーコーはまるで初めてだという読者のために書かれた1冊である。

知の考古学』(慎改康之 訳)
▼フーコー自身の著作のなかでは、比較的読みやすい。フーコーの思想と、『狂気の歴史』『臨床医学の誕生』『言葉と物』という著作をどのような方法論で書いたのかということが明確に語られている。上記3冊に挑むために事前に読んでおくというのもオススメだ。

ドゥルーズ 流動の哲学[増補改訂]』(宇野邦一 著)
▼ドゥルーズに直接学んだ著者が、ドゥルーズの思想の展開を主要な著作に依拠しながら解説している。決して平易とは言いがたいが、ドゥルーズの思想の全体像を把握できる入門書としては最も良質である。

アンチ・オイディプス
▼ドゥルーズがガタリとともに著した代表作である。本書で提唱された「スキゾ(分裂)分析」という概念は、世界はもちろん、日本の思想界にも大きな影響を及ぼした。浅田彰の『逃走論』(1984)で紹介され、ブームになった。現代思想を学ぶ読者であれば『アンチ・オイディプス』は必読である。

デリダ』(高橋哲哉 著)
▼デリダの「脱構築」と正義論が初心者向けに詳しく解説されている。入門書としては著者の論のユニークさが際立っており、倫理を無化する〝破壊思想〟だと批判されることがある「脱構築」を、著者は逆に〝肯定思想〟として捉えるスタンスをとっている。

デリダ,脱構築を語る
▼1999年にシドニーで2回にわたって開かれた公開セミナーの記録である。デリダ自身が語っている。話し言葉なので、書き言葉の著作と違って抵抗感なく読める。デリダが晩年に何を考えていたのかがよくわかる。デリダは初めてという読者に最適だ。






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