ソクラテス(Socrates):時代状況と資料

時代状況

哲学の始まりにおいて、「ソクラテス以前の哲学者」たちは自然を探究することによって世界の原理を言い当てようとしてきた。
しかし、ギリシアの民主制が絶頂期を迎えると、哲学の関心は自然の探究から人間の探究へと移っていった。
この兆候は、前のページで述べたように、ソフィストにおいて見られたが、その哲学は言葉の技術的な操作のレベルにとどまっていた。
こうした時代状況のなか、世界のアルケーを、自然のなかにではなく、その自然を捉えようとする人間のなかに見出そうとしたのがソクラテス(B.C.470/469〜B.C.399)である。

ソクラテスを知るための資料

ソクラテスは、著作を1つも遺していない。
そのため、ソクラテスがどういうことを説いたのかは、ソクラテスについて書かれている著作を資料とするしかない。
そうした資料は、5種類ある。

(1)ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』
3世紀前半に著されたこの著作は、10巻から成り、タレスからエピクロスにいたるまで80人以上の哲学者の学説やエピソードが収録されている。
ソクラテスについては、ソクラテスの両親や師のこと、ソクラテスが人生について最初に論じた人物であり、また裁判で有罪になり死刑になったことなどが書かれている。
日本語訳では、『ギリシア哲学者列伝(上)』『ギリシア哲学者列伝(中)』『ギリシア哲学者列伝(下)』がある。
ソクラテスに関する記述は、上巻に収められている。

(2)アリストパネス『雲』
アリストパネスの喜劇『雲』は、B.C.423に上演された。
ソクラテスが死刑になって亡くなる24年も前のことだ。
その作品のなかに、40代のソクラテスが主要な人物として登場する。
話のあらすじは、借金に苦しむ主人公が苦況を切り抜けるために雄弁の術を身につけようと、息子といっしょにソクラテスのもとに入門するが、詭弁(きべん)を身につけた息子にさんざん悩まされる……というものである。
ここでのソクラテスは、インチキな詭弁を教え、若者を惑わすソフィストの代表として否定的に描かれている。
日本語訳では、『』がある。

(3)プラトンの著作
西洋哲学史におけるソクラテスの哲学の“実像”の多くは、弟子プラトンが遺した著作の内容に基づいている。
ソクラテスの哲学について知るのに(もちろんプラトン自身の哲学を知るうえでも)、それほどプラトンの著作の役割は大きい。
プラトンの著作の大半は、ソクラテスが主要な語り手として登場し、相手と問答を繰り広げる「対話篇」である。
特に、プラトンが30代後半のころに書かれたとされる初期の著作群に特徴的である。
プラトンの「対話篇」には、『ソクラテスの弁明』『クリトン』『メノン』『饗宴』『パイドン』などがある。

(4)クセノフォンの著作
クセノフォンも、プラトンと同じように、ソクラテスの弟子である。
ソクラテスが登場するクセノフォンの著作には、ソクラテスに対する非難への弁明やソクラテスが行なった対話を収録した『思い出』(日本語訳では『ソークラテースの思い出』)の他、『ソクラテスの弁明』『饗宴』『家政論』がある。

(5)アリストテレス
プラトンの弟子アリストテレスは、ソクラテスの哲学について要約している。
しかし、アリストテレスは、ソクラテスの死後に誕生し、ソクラテスのことを直接に知っていたわけではない。
そのため、ソクラテスのことをどの程度正確に、また客観的に描き出しているかに関する評価は、研究者によって分かれている。

以上の5種類の資料は、どれもソクラテス自身が著した著作ではないため、著作者の主観が織り込まれていると考えられる。
また、書かれている内容もまちまちであるため、ソクラテスの哲学の“真の姿”がどのようなものであったのかを断定することはできない。
これは、「ソクラテス問題」として、西洋哲学史上の課題となっている。

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