ソクラテス(Socrates):ディアレクティケー

ソクラテスは、「無知の知」のスタンスに立ち、相手と対話することによって物事の本質を明らかにしようとした。
そのためにソクラテスが用いた哲学的方法が「ディアレクティケー」(問答法、弁証法)である。
「ディアレクティケー」とは何か?
例として、『ゴルギアス』(プラトン著)のなかの、ソクラテスと、アテナイの政治家であるカリクレスとの問答を紹介しよう‐‐

カリクレス:およそありとあらゆる欲望を持ち、それらを残らず満たすことができて、それによって喜びを感じながら幸福に生きるということを言っているのだ。
ソクラテス:まず手はじめに聞くが、疥癬(かいせん:皮膚疾患の一種)にかかって、痒(かゆ)くて仕方がない人が、思う存分いくらでも掻(か)くことができるので、掻き続けながら一生を過ごすとしたら、これもまた幸福に生きることだと言えるのかね?
カリクレス:やむをえぬ。そういうふうに掻きながら生を送る者も、やはり快(こころよ)く生きることになるだろう、と言っておく。
ソクラテス:快い生ならば、幸福な生でもあるだろうね?
カリクレス:いかにも。

カリクレスは、どうやら「欲望を満たすことこそが幸福だ」と考えているようだが、これに対してソクラテスは、“一生掻きつづけながら過ごす人生が幸福なのか?”と吟味し、矛盾を示そうとしている。

ソクラテスはこうした問答を得意としたが、その方法にはいくつかの特徴がある。
(1)自分が知らないこと=「無知の知」であることを武器に、相手を質問攻めにする
(2)質問の目的は、矛盾を明らかにすることそのものにあるのではなく、物事の本質を明らかにすることにある
(3)質問は、対話の相手がみずから物事の本質に気づくように投げかけられる(※1)

つまり、ソクラテスの「ディアレクティケー」とは、人びとが抱いている観念や知識について本人に説明させながら、質問や対話によって矛盾を露呈させ、そこから物事の本質=普遍的な知(定義)を導き出そうとする対話術のことなのである。
あるいは、生活や現実に密着した現象・事実から出発して、普遍的な知へ到達しようとする「帰納法」(エバゴーゲー)としての特徴があったと言うこともできよう。
ちなみに、普遍的な知へ到達しようとするソクラテスの営みは、のちに見るように、弟子プラトンの「イデア論」へと結実していった。

(※1)対話相手がみずから物事の本質に気づく助けをすることを、ソクラテス自身は「産婆術」(マイエウティケー)と呼んだ。

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