ウィトゲンシュタイン(Wittgenstein)

ルートヴィヒ・ヨーゼフ・ヨーハン・ウィトゲンシュタイン(Ludwig Josef Johann Wittgenstein、1889-1951)は、オーストリアのウイーン出身の哲学者で、生涯「言語(言葉)とは何か?」「意味とは何か?」と問い続けた。
その哲学は、『論理哲学論考』(1951)に代表される前期哲学と、『哲学探究』(1953)に代表される後期哲学とに分けられる。

前期哲学:「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」

ウィトゲンシュタインによれば、哲学は言葉の使い方を間違えた結果、誤った問題=「形而上学的問題」に取り組んできたという。
彼は『論理哲学論考』のなかで、その誤りを正し、哲学の問題を解決しようとした。
そのためにウィトゲンシュタインが行なったのが、言語の(意味の)分析であった。
彼によれば、言語(何かを語ること)には、有意味な言語と無意味な言語があるという。
たとえば、〝犬が犬小屋の中にいる〟と言ったとき、実際に犬が犬小屋の中にいるという事実を写し取っていれば、その文は意味を持つ。
言語と世界が対応している(「写像関係」にある)からである。
一方で、言語と世界が「写像関係」にない場合がある。
それが、人が倫理や宗教について語るときである。
〝善〟や〝神〟などと言っても、それに対応するものは現実にはない。
だから、そうした文は無意味である。
これは、言語と、その言語を用いる思考に限界があることを示している。
しかし、従来の哲学は、言語と思考の限界を超えて語ってきた。
つまり、哲学が語ってきたことは、無意味だということになる。
この誤りを正すには、「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」。
そうすれば、哲学の問題=「形而上学的問題」は解消されるのだという。
ただし、ウィトゲンシュタインは、〝だから「語り得ぬもの」自体が無意味である〟と言ったわけではない。
語ることができないことを語ろうとする従来の哲学が無意味だと言ったのであって、そのことによって、むしろ「語り得ぬもの」を明確に示そうとしたのである。

後期哲学:言語ゲーム

ウィトゲンシュタインの前期哲学は、経験的に検証可能な命題を有意味とする「論理実証主義」に大きな影響を与え、言語の(意味の)分析を重視する「分析哲学」と呼ばれる潮流を活性化させた。
そして、哲学の方法を〝認識における主客の一致〟から〝言語の分析〟へと転換させた(「言語論的転回」)。
ところが、哲学界にそれだけの影響を与えたにもかかわらず、その後、ウィトゲンシュタインは、自分の考えが誤りだったと認めることになる。
それは、言語(言葉)は文脈のなかで使われてはじめて意味が確定されるのであって、言語自体をどれだけ分析してみても意味は確定できないということに気づいたからである。
弟子がまとめた『哲学探究』には、そうした視点から、ウィトゲンシュタインが言語について改めて考え直した際の文章や小論文が収録されている。
彼によれば、言語というものは、生活のいろいろな場面に応じて使われ方がさまざまに変わるとともに、そうした生活のあり方=「生活形式」に従って意味が確定するのだという。
ウィトゲンシュタインは、そうした言語の多様な働きを「言語ゲーム」と呼んだ。
たとえば、「赤いリンゴ5個」と書いたメモを果物屋の主人に渡せば、「リンゴ」と書いてある箱から(まだ赤くなりきっていない青味のあるリンゴではなく)赤く熟しているリンゴを「1、2、3、4、5」と数えながら選んで取り出してくれる。
一方、同じメモを渡しても、それが画家だったら、つやつやした赤いリンゴが5個並んだ絵を描くはずだ。
つまり、言語は、場所や状況に応じて意味が決まるのであり、具体的な日常生活の場面で活動と組み合わされて使われるということである。
そして、生活の場面によって活動との組み合わせはさまざまであるから、言語ゲームのルールは決して1つではなく、たくさんあることになる。
それは、たとえて言えば、テニスやチェス、トランプなど、ゲームにはいろいろあるが、それらすべてのゲームに共通するルール(本質)はなく、ボールを使う、盤上でプレイする、勝敗を競うなど、互いに似たような性質=「家族的類似性」だけを見ることができるのと同じである。
つまり、ウィトゲンシュタインによれば、言語ゲームは無根拠で、そこには本質がないのである。
こうしたウィトゲンシュタインの後期哲学は、意志よりも知性を重視する「主知主義」や、ものごとは必ず特定の性質から成り立っていると考える「本質主義」への大きな批判となった。
また、日常言語の分析は、それによって心身問題など哲学の伝統的な問題を解消しようとする「日常言語学派」形成の起点となった。

ブックガイド

はじめての言語ゲーム』(橋爪大三郎 著)
▼ウィトゲンシュタインについて知りたいなら、まず本書だ。ウィトゲンシュタインがどのような人で、どういう時代を生き、そのなかでどのような哲学を説いたか、その核心部分が内容の質を落とすことなく丁寧に紹介されている。小学生でも読めるくらい平易である。

ウィトゲンシュタインはこう考えた』(鬼界彰夫 著)
▼ウィトゲンシュタインが何をどう考えたか、その思想遍歴を段階を追って解説。彼の草稿に基づいて書かれているため、『論理哲学論考』や『哲学探究』だけではわかりにくい箇所もカバーしている。入門書としては大部だが、哲学初心者でも充分に読み通せる。上記『はじめての言語ゲーム』の次に読むと、よりわかりやすくなるだろう。

ウィトゲンシュタイン 論理哲学論考』(古田徹也 著)
▼とにかく解説が丁寧で、わかりやすい。『論理哲学論考』の解説書としては、これまで野矢茂樹氏による解説書『ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む』がもっともポピュラーであったが、今後は本書が定番となりそうである。ただし、『論理哲学論考』のすべてが扱われているわけではなく、フレーゲ以降の新しい論理学など、前提となる知識がないと理解できない内容には言及されていない点は注意だ。それでも、『論理哲学論考』を理解するための十分な助けとなってくれる。

ウィトゲンシュタイン『哲学探究』入門』(中村昇 著)
▼本書で扱われているのは『哲学探究』の6.2%の部分だけだということだが、的を絞っているぶん、深く掘り下げられて書かれていて、ウィトゲンシュタインの思考を追体験できる。つまり、本書を読めば、『哲学探究』の内容がよくわかるというよりも、その読み方をマスターすることができるということだ。ウィトゲンシュタインの思考の世界を堪能できる一冊である。






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